バーベル・魔法の道具

うちの引きこもり犬・アン♀ 推定2歳半

 

恵は子供の頃、細かった。痩せ型程度ではなく虚弱に近い体型だった。「華奢」という言葉が一番合っているだろうか。だが、心無い大人たちはよく恵を「ひ弱」と呼んだ。それがすごく嫌だった。言葉の意味をよく分かってはいなかったが、男なら誰でも「弱い」という言葉は嫌いなのだ。

その頃からずっと自分の体型を何とかしたい、強くなりたいという思いが恵にはあった。

 

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父親が柔道をやっていた関係からか、よくテレビで格闘技を観ていた。その影響で恵も小学校低学年からボクシングやキックボクシングを観ていた。選手たちは皆輝いて見えた。

その頃の恵にはまだ打撃系格闘技を習うという発想がなく、父親に柔道を教えてくれるようにせがんだ。何度も頼むうち、ようやくOKが出て習うことになったのだが、結局、ある日の早朝一度教えてもらっただけで、二度目はなかった。当時の父親は肉体労働をしていたので恐らく眠かったのだろう。

 

 

小学校高学年の頃、ブルース・リーや空手バカ一代という漫画の影響で格闘技ブームが起こった。友人たちが皆空手を習うというので恵も習いたい旨を母親に話したのだが、却下された。

仕方なく、塾帰りに友人二人と誰もいない公園でその真似事を始めた。体格では劣っていても、その本気度が違うため恵は連戦連勝だった。途中から2対1マッチに変更したが結果は同じだった。

中学に上がった時、柔道部に入部したいと母親に言ったが、またもや却下された。「剣道やったらええで」と言うので、一応入ってみたが、恵のイメージする格闘技とは違い、すぐに辞めると剣道部顧問に言うと、ゲンコツを食らい「考えて明日来い」と言われた。

翌朝、担任(柔道部顧問)に「おまえ、もう辞めるって言いに行ったんか」と往復の平手をもらい、夕方また剣道部顧問の所へ行くと「ほんまにまた辞めるって言いに来たんか」と今度は竹刀の革巻きの柄の部分が脳天に降ってきた。

これが結局一年間続き、二年になった時ようやく退部することができた。

体罰禁止の現代では考えられないことだろうが、これは実話であり、当時としては別に珍しいことでもなかった。そして恵自身は今でもこの二人の先生には感謝している。なぜなら、格闘技を習っていなかったにもかかわらず、身長150cm台体重40kgを切るぐらいの子供が毎日大柄な大人にバカスカやられていたのだ。避ける練習は(怒られるので)できなかったが、打たれ強さのよい練習となった。肉体的にというよりは精神的に。これが後に大いに役立つこととなる。

中学に上がると同時に筋トレを始めた。それまではあまり筋トレの事を知らなかったのだが、剣道部に入ったおかげでそのやり方が分かった。と言っても腕立て伏せと腹筋ぐらいなのだが。。。

腹筋は初めから100回以上でき、日に3回100回ずつやっていたが、そのうち時間がかかるのでやめてしまった。が、腕立て伏せはそれから中高の6年間一日も欠かさずやり続けた。だが、体重が軽いものが何十回もできることをしても筋肉はそれほど発達しない。結局体型はあまり変わらず身長177cmで体重54kgと相変わらず細いままだった。

 

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TOTO」で詳しく書いたが、中学から音楽をやり始めた関係で、恵は高校のクラブはフォークソング部に在籍していた。もとより、恵の高校で格闘技と言うと柔道部しかなく、柔道は高校から始めるものではなく子供の頃からやるものだと、なぜか当時そう思っていたので入部する気もなかった。

大学に合格した時、一番に考えたのは部活動の事だった。恵の通っていた大学には糸東流空手・極真空手・ボクシング・少林寺拳法など、結構多くの格闘技のクラブが存在した。恵は極真空手とボクシングで迷っていたのだが、結局どこにも入らなかった。その理由はかなりややこしい話なので割愛するが、要は大学一年目はほとんど学校に行っていなかったので入りそびれたのだ。

大学二年の時、ようやく某フルコンタクト系の空手を習い始めた。もう既に20歳になっていたので親の承諾はいらなくなっていた。後に母親に、なぜあれだけ格闘技を習うことを反対したのか問うと、ただ一言「骨折れるやろ、おまえ細いから」と言われた。



恵がその町道場に入会しに行った時、合同練習時間ではなかったようで奥のウエイトトレーニング場に5・6人がいただけだった。ただ、その筋トレをしている彼らを見た時恵は、「俺はとんでもない間違いを犯したのかも知れへん」と思った。上半身裸でトレーニングしている彼らの身体が皆ムキムキなのだ。

こんな奴、10分ドツかしたるって言われても倒されへんやろ……

入会手続きをしてくれている物腰の柔らかい同年代の彼を見ながら、そう思った。

やっぱり恵まれた体格の人間しか格闘技はできひんのかな……

そう思ったが、もう後の祭り。やるしかない。と腹をくくって通い始めた。

後で分かったことだが、その時いたのは全員黒帯でしかも指導員クラスの方々ばかりだったのだ。ちょうどその時は、合同練習時間の合間で、皆でウエイトトレーニングをしていたわけだ。恵がまず初めに入った初心者コースには恵同様ガリガリの者も太った者も、中には中年のオジサンまでいた。



練習は、基本稽古から移動稽古、最期に約束組手(決められた技に対する反撃の練習)となっていた。確かに慣れぬ者には体力的にはきつい。真剣にやれば、初めのうちは基本稽古だけでバテる。だが、思っていたほどではないのだ。恵は漫画や本で得た知識から「鬼の鍛錬」をイメージして入会していた。

これで黒帯まで行く人間が500~1000人に1人って、何で?

恵が町道場に通い始めた頃は第二次格闘技ブームだったため、恵の道場にも毎日見学者が何人も来てはその幾らかが入会していた。だが、事実、その大半が3ヶ月以内に辞めてしまうのだ。9割ぐらいだろうか。初心者コースを飛ばし、いきなり一般コースに入会した人間はほとんど一日で辞めた。

その理由は2か月後、一般コースに移ったその日に理解できた。

その日も基本から移動、そして約束組手と、初心者コースと変わらぬ流れだった。が、ここからが全く違っていた。初心者コースでは白帯同士が約束組手をするわけだが、一般コースでは黒帯はじめ色帯が白帯と組む。神棚側から黒帯・茶帯・緑帯・・・と並び、その前に白帯の歴の長いものから神棚側(黒帯の前)から並ぶのだが、恵は初日で分からず一番先頭の黒帯の前に立った。こういう道場は口であまり説明しないので、いろんなことがなかなか初めのうちはよく分からない。その黒帯の先輩は恵を見てなぜかイライラしているようだった。

礼をして始めた途端、恵はくの字になった。ボディーにパンチをもらったからだ。

「本気では入れてないんやで」

「押忍」

その後も何度もくの字になった。

この先輩、約束組手なのに約束通りに返してこない。こっちは約束通り、決まった場所に決まった攻撃をしていくのだが、相手の返し技はモノも場所もバラバラなのだ。仕方なく、恵は攻撃した後、すぐ防御に意識を集中させて致命傷を負わないように努めた。

 

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後に知ったことだが、この先輩は後輩をバカバカ蹴り倒すことで有名で、要するに彼が苛立っていたのは、初心者コースから上がってきたばかりの奴では思い切り練習ができないからだった。

また、彼は人減らし要員も買って出ていて、人数が増えて道場が狭く感じてくると、「そろそろ減らすか」と言って、約束組手やその後に待っている鬼の自由組手で後輩を蹴り倒して辞めさせるのだ。

約束組手で結構つらい目をしたと思った恵だったが、その後の自由組手は時にまさに「地獄」だった。特に昇級審査前などになると、「おまえら次〇〇帯になるんやろ!」などと言いながら蹴り飛ばされる。審査を受けない奴にはいいとばっちりだ。

ボティーを食らって床の上を転げ回っている者、ローを食らい過ぎて足がもうあらぬ方向を向いて引きずっている者、額や目の上をカットして顔面真っ赤になる者もいた。

また、時々はハイキックで失神して起き上がらなくなる者も出るのだが、そういう場合も先輩たちは慌てた様子もなく、なぜか皆でニタニタしながらその人物の足を持って引きずり、柱の陰に置いておくだけ。しばらくして救急車のサイレンの音が聞こえたら、背負って道場を出て行く。が、やはりその時もなぜかニコニコしているのだ。気持ち悪い。。。

だが、後に自分が黒帯になった頃、その理由は分かった。

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ある日の練習時、やはり額をカットした者が出て、顔面が真っ赤になった。それを見たおじいさんが恵に「えらいことになってまんな」と、相当衝撃を受けた様子で言った。他の白帯たちもそば耳を立てて恵の返答を待っている。その時、恵は反射的に「まあ、目の上や額はちょっと切れただけですごく血が出ますから。たぶん足の爪がちょっと擦っただけでしょう」と、なぜか微笑みながら答えていた。

恐らくは70歳ぐらいであろうその老人が、硬化しきっている身体に鞭打って頑張って練習してきていたのを恵は知っていた。他の者たちも同じだ。だから、この一回のことで辞めてほしくなかったのだ。そのため、できる限り大げさにしたくなくてそういう対応になったのだと思う。



恵自身は、空手を辞めたいと思ったことは一度もなかった。怖いと思ったことは何度もあった。いや、ほとんどずっとだ。それでも辞めたいとは思わなかった。辞めた人たちも本当は同じ気持ちだったのかもしれない。が、続けることができなかったのだろう。

恵が怖くても道場に通い続けられたのは、中1の一年間、毎日、恐怖におののきながら担任と顧問の所へ足を運んでいたのが役立ったのだと今でも思って感謝している。

ただ、ここで断っておきたいのは、恵は体罰賛成論者ではない。事実、恵は後輩や子供に体罰を与えたことは一度もない。その必要を感じたことがないからだ。だからと言って反対論者でもない。まずは動機が大事だと思っている。恵の場合は顧問も担任も「こいつを何とかしなければならない」という想いが常にひしひしと伝わってきた。だから腹が立ったり恨んだりすることがなかったのだ。

だが、実際には、同じ想いによる体罰でも、大変な事態に陥るケースは多く、体罰を与える者は相当思慮があり且つ加減を知っている者である必要がある。事故は相手の体調如何でも起こり得るゆえ、「全面禁止」になっている現状も仕方のないことだとは思っている。



話を戻す。

辞めたいと思ったことはなかったが、一般コースに移ってすぐ体力的にこのままでは続けることが難しい、とは思った。当時の恵はまだ50kg台だったのだが、90kg台の黒帯とミット練習をした時、膝蹴りを食らうと体が浮くのだ。数発受けただけで壁まで移動してしまっている。

「はい、戻って」

「押忍」

それを延々と繰り返す。

また、この先輩も約束組手の「約束」を無視するのだが、前の先輩のように「全て無視」ならまだ良かったのだが、そうではなかった。初めはずっと約束通り左ハイキックを返してきた。ただ思いっきり蹴ってくる。「こんなもん、当たったら死ぬかも」と必死でガードしていたら、いきなりミドルに変えてきたのだ。全く反応できず、太い脛が完全にレバーにめり込んだ。

「ああああああああっ・・・」

何か声が聞こえると思ったら、自分の声だった。知らぬ間に床に倒れてエビのように丸まっていた。恥ずかしいので声を止めようと思っても止まらない。

指導員が飛んできてその黒帯と共に恵の両腕と両足をそれぞれ持ち身体を伸ばす。

「はい、吸って・・・吐いて・・・」

と言われても、できるかそんなもん!

息ができず、失神しそうになってくる。このまま死ぬんじゃないか、と思うぐらいいつまで経っても抜けない。そう思っていたが、次第に少しずつ息ができるようになってきて、身体も少し伸ばせるようになり、やがて完全に抜けた。

「もうちょっと腹鍛えなな。顔、洗っておいで」

「押忍」

加害者にそう言われて洗面所に行って鏡を見ると顔面蒼白になっていた。当たり前だ。長い間酸欠だったのだから。腹が弱く、日に5回は排便をしていた当時の恵が、なぜかその日から4日間便秘になった。

次の練習日も、当然恵は道場へ行った。たまにサボることもあったが、サボるとしてもこの日だけはダメだ。何かあった次の日だけは休めない。ここを休んでしまったために行き辛くなって辞めてしまう者も多いのではないかと思う。

ボディーで完全に落ちたことに関しては別段衝撃は受けなかった。ただ、体格差というものを思い知った最初の出来事で、何とかしなければ、とは思った。

当時の恵は全く太れない体質で、いくら食べても脂肪も付かなかった。高校時代の日常的な食事は、1時間目終わりにデカい弁当箱に倍の米を押し付けて入れてもらったものを食べ、昼休みには食堂へ行って定食大盛に2玉ラーメンとパンを完食し、放課後また食堂でカツ丼を食い、普通に夕食を食べ、また夜中にビールと共に大量の肉をおかずにどんぶり飯を食う、という感じ。それで54kgだった。

腹の皮をつまんでもそれは手の甲と全く同じだった。冬は寒くて嫌いだった。
それに加え、筋トレしても今まで太れなかったので、もう一生細いままなのだろう、と諦めていたが、空手を始めてそうも言っていられなくなった。

その時、たまたま何かの雑誌の裏に載っていたバーベルが目に入った。

バーベルか……

先輩たちはウエイトトレーニングをやっているし、先人たちの伝記を読んでも、その多くが元は細く、ウエイトトレーニングにより身体を作り上げているのは知っていた。だが、当時の恵はバーベルを使っても無理なのでは、と思っていたのだ。

ダメ元で一度やってみるか。

そう思い、安いベンチ台とバーベルセットを買って家でやり始めた。知識が全くなく、バーベルと言えばベンチプレスだと思っていたので、それしかやらなかった。

プロテインもよく分からないまま大豆のものをウエイトをした後のみ、大さじ(スプーン)一杯だけ採っていた。今なら分かるが少な過ぎである。筋肉を維持・肥大させるためにはトレーニング日かどうかに関わらず1回20~30gを日に2~3回は採るべきだ。現在の恵はそれ以外にもグルタミン・アルギニン・BCAA・マルチビタミン・グルコサミンを採っている。

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だが、それでも一年後には体重は68kgになっていたのである。これには本当に驚いた。それまでどれだけ食べてもどれだけ努力しても無理だったのに、ベンチプレスを週2~3回数セットずつやっていただけで10数キロも増えたからだ。

当然、道場でサンドバッグを蹴ったりしていたので、太腿筋の増加によるところも大きいとは思うが、それだけではここまでの体重変化はなかっただろう。実際、胸の厚みが一年前とは全く違っていたのだ。

 

後に腰痛が治らず道場へ行かなくなってからも、ウエイトトレーニングだけは続けていた。ベンチプレスだけでなくスクワットやペックフライなど様々なトレーニングが可能なマルチジムを新しく買い直した。空手など腰を切る動作をするとすぐ腰痛は再発したが、パーシャルスクワット(あまり深くひざを曲げないスクワット)をしていると逆に脊柱起立筋が鍛えられて背骨が支えられ、次第に痛みが解消されるようになっていった。

今、ウエイトだけは続けていた、と言ったが、中断は何度もある。引っ越しや仕事の関係で最大で7年間全くやっていなかった。その時はさすがにひどい有様だった。腕立てが10回しかできなくなっていた。

近所のジムでトレーニングを再開してから約半年で元の状態まで戻した。だが、やり方が悪かったため両肩がグラグラになった。腱が伸びてしまったのだ。20kgのバーでさえ胸まで下すと激痛が走る。仕方なく関節サプリを採りながらそれからの3年間は月1回ぐらいのトレーニングで過ごした。

その後は2ヶ月痛みを我慢しながらトレして3ヶ月休み、また再開して限界が来たら休むというのを繰り返していた。

そのまた数年後とうとうベンチプレスで胸まで下すと肩が亜脱臼するようになった。それを機にベンチはパーシャルレップス(上の方だけの狭い可動域で上げ下げ)だけに変えた。それを7年ぐらい続けているうち肩が以前より安定してきたので、また2セットぐらいなら胸まで下してできるようになった矢先、、、アンが来た。



詳しくは「引きこもり犬・アン」を読んでもらいたいが、この犬、恵から離れない。玄関をちょっと出ただけで鳴き喚き、すぐ戻るともう嬉しさに小便を漏らす。仕事の時はいくら喚いても出て行くのをやめてくれないことを知っているため、拗ねたように床に伏せて恵が触ろうとしても頭を避ける。怒っているのだ。仕事かどうかは既に服装・荷物でアンには分かるようだ。

7年間のブランク後はずっと近所のジムに通っているのだが、彼女が来てからのこの2年余りは月2・3回しか行ってない。仕事は仕方ないとしてもそれ以外ではなかなか出掛ける気にならないからだ。だが、時々しか行かないと余計にしんどい。

もうやめたら?

と嫁に何度も言われるが、それでも恵はウエイトトレーニングをやめられない。「ひ弱」だった頃の状態に戻るのが怖いからだろうか。

現在の恵は177cm  88kg。太れなかったのがウソのように脂肪も付く。

最近、もうめんどくさいのでやめてしまおうか、とも思ったのだが、、、いや、やめられるかどうか考えてみただけだが、、、無理だった。テレビでジムの内部などが映り、バーベルが見えるともうダメだ。やりたくて仕方がなくなる。なぜなら、バーベルは恵の幼少からのコンプレックスを唯一解消してくれた魔法の道具だからだ。恐らくいくら空手で強くなっても細いままだったら、恵の場合はコンプレックスが残ったことだろう。

アンは恵が家の中にさえいれば安心するので、早く家を買って自宅でウエイトトレーニングできる環境を作りたいと、今中古物件を物色中である。できればトレーニング専用ルームを設け、最低でもバーベル・ダンベル・パワーラック・ラットマシン・インクラインベンチは揃えたいと思っている。

恵がジムで使っているのはタフスタッフのパワーラックとイバンコのバーベルで、使いやすく丈夫そうなので(200kg以上の使用でビクともしない)、やはりそれがほしい。

 


こんな感じ。

 

もし経済面で許せばパワーラックの代わりにスミスマシンやケーブルクロス・ラットマシンまで一体化したハーフケージを買いたいと思う。これならまだ細い息子や力のない嫁も気軽にトレーニングすることができるからだ。

 


こんなやつ。

 

元々出無精なところアンで余計に引きこもり化した恵がウエイトトレーニングを続けるにはもうそれしか方法がないのかもしれない。

 

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