信じたい方を信じる(超常現象バトル)

おい、アン。何食おうとしてる?

 

「信じたい方を信じる」

皆、自分がそうしているだけだという自覚を持てば、いちいち人の意見に目くじら立ててイチャモン付けなくても済むので、その方が楽になれるんじゃないかな、と思う。が、うちの父親のようにイチャモン付けたい人は、この意見すら受け入れずイチャモン付けるのだろうなあ。。。ということで、チャンチャン、と、終わってしまったが、一応、タイトルの説明に入る。

 

 

先日、超常現象に関する肯定派と否定派によるバトルが展開されているのをテレビで観た。あまりに両極端な者同士を対決させているところから、まあ、半分はお笑いバラエティーといった趣旨なのだろうと思う。が、こともあろうに、否定派の代表格が「自分の持つ称号を賭ける」と言い出したのだ。観た方もおられるだろうし有名な人物なので誰のことかはお分かりだろうが、恵は個人攻撃がしたいわけではないので、とりあえずW大名誉教授のO氏としておく(無意味?)。

ネットで調べると、このO氏と「マインドスキャナー」を称する人物との対決は、既に様々な角度から語られているが、恵の意見をとりあえず書く。



まずO氏に対して、「負けるリスクをかなり感じてるのに何で称号なんか賭けるねん」と思った。O氏のiPadの暗証番号をマインドスキャナーが当てるという対決だったが、暗証番号を書くO氏の手がブルブル震えていたからだ。

それと、番組では「超能力者vs科学者」のような構図にしていたが、あの人物、自分から「超能力者」だとは言っていなかったと思うのだが、恵が聞き逃しただけ? 恵は「前振り」のビデオを観た時点で「ああ、この人はメンタリストなんやなあ」と思ったのだが。

ネットでは「マジシャン」という評価も多かったが、手品を使うこともあるのかどうかは別として、恵は基本的にはあの人はメンタリストだと思う。前振りのジャンケン対決などは手品では難しいし、「誘導」はやはり手品というよりはメンタリズムと呼ぶ方が正しいような気がするので。

ジャンケン対決の時に、彼は相手がグ―の場合はその手をパーで包み、相手がパーの時はチョキで相手の手を切っていた。いずれも次に相手に出させる手を誘導しているのだと思う。




日本一有名な現在31歳ぐらいのメンタリストD氏の技を見ていても、メンタリズムの場合、相手の微表情や仕草を読むのと同等以上に大事なのが誘導のように思える。相手を読むだけだと、後ろ向きになって、それ以降に相手がする行動を次々に当て続けることは不可能なことだ。それこそ超能力でも持ってない限り。

マインドスキャナーも「予言」的なことをやっていたが、以前D氏がもっとすごいのを披露していたことがあり、恵はそれを観ていたので、あまり感動はなかった。詳しくは覚えていないが、イメージとしてはこんな感じだ。

「まずは赤のボールを取って上げ、次に黄色のボールを取って上げようと思ったが、やめて緑を取る。そしてそれを上げようとしてやめて下におろす」

これを後ろ向きで言い当てていた。それを観ていて恵は正直怖いと思った。それほどまで簡単に人は誘導されてしまうのか、と。D氏がもし詐欺師や悪徳商法をやったら、誰も抵抗できずに騙されてしまうのだろうなあ、と思った。

あくまで、あくまで恵個人の意見だが、このマインドスキャナー氏は、D氏がいる日本にわざわざ来る必要があったのかと思う程度の精度に感じた。恵にはD氏の方が遥かに上位のメンタリストだと感じたのだ。

そこで恵は嫁に、「何でここにD氏を出さんねんやろ? 彼なら全てその方法を見破れるやろうに」と訊くと、

「そんなことしたら、この番組自体潰れるやんか」

という答えが返ってきた。ああ、そうか。これ「超常現象」に関する対決だったのね。。。

 

 

W大名誉教授O氏に話を戻す。

彼はずっと「非科学的なものは信じない」と言い続けている。だが、なぜか彼は「物凄く」怖がりなのだ。以前、彼は幽霊が出ると言われる建物に放り込まれたことがあったのだが、めちゃめちゃ怖がって女並みの悲鳴を上げていた。

つまり、彼は「信じていない」のではなくて、「信じたくない」のではないかと、恵は思う。

そう考えれば、O氏がマインドスキャナーとの対決に「名誉教授の称号」を賭けたことも理解できなくはない。「超常現象なんて、ない」と思いたいからだ。「あっては困る」と思っているからだ。だが、心のどこかで「あるかも」と思っているので、怖くなって手が震えていたのではないか、と思う。

ただ恵は、O氏が初めから1つ大きなミスを犯していることを感じた。

「あれは超常現象でも何でもなく、メンタリズムだ」

という点に気付いていないことだ。メンタリズムの場合、それを熟知してでもいない限り、被験者が負ける確率は非常に高いし、何より教授からしても、「負けても問題ない」はずなのだ。メンタリズムが科学、精神科学、精神分析学など、どのジャンルに区分されるものかは知らないが、少なくとも「超常現象」ではないのだから。

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言うが、恵にはO氏が「どちらも」知らなかったように見える。



では、恵はどちら派かというと、恐らく「超常現象はある派」に属するのだと思う。が、これは振り分ければ、ということで、本人の意識としては「本当のことが知りたい」だけである。だから、勝ち負けは恵には関係ない。勝ち負けと真実は関係ないから。だからディベートは嫌いである。論破した方が正しいわけでも、論破された方が間違っているわけでもないから、「不毛」もしくは「余興」としか映らない。

恵は大概ベタベタの「現実」と言われるものより、不思議なものの方に興味があるように思われる。まあ、分類すれば確かにそうだ。それは「宇宙の果て」や「意識は年を取らない」を読んでもらえれば分かると思う。

だが、その理由は「そんなこと言うててもメシ食われへんで」というタイプの人間が思っている現実が、彼らが思っているほど確かなものだとは思わないからであり、彼らの言う「現実」に興味がないだけだ。本当は恵は恵で「現実」に興味があるだけなのだ。

恵からすれば、逆に多くの人が「思い込み」などに騙されているようにしか見えない。宇宙の果てもそうだが、果てが「あってもなくても」理解不能なのに、何らかの答えはある。「現実」にあるわけだ。そんな理解不能な世界に暮らしているのに、なぜ何かを「知っている」と思っているのだろう。



「超常現象」と言われているものも、「あるかないか」言い争うほどのことだとは思わない。ましてや「科学」の名のもとに対決するものではない。超常現象と思われているものと科学と呼ばれているものに違いを感じないからだ。強いて言えば「今作用が一部理解できているものと、まだ理解できていないもの」の違いぐらいか。

つまり、「超常現象」と今呼ばれているものも、それがたとえ「幽霊」だろうと「UFO」だろうと正体は「科学」と何ら変わらない「自然現象」だろうし、逆に言えば「科学」を含め、全てが「不思議なこと」だとも言い換えられると思う。

よく〇〇を作った、〇〇を生み出した、というが、実際には人間は何一つ作りも生み出してもいない。変形させる変化させる技術を身に付けただけだ。家でも車でも何でも、元々あった素材の形を変えただけだ。無から生み出したものは何一つない。だが、この世は、目に見えないものを合わせてとんでもない数のもので溢れている。今、科学の名のもとに驕り高ぶっている人間がたった1つでさえ生み出せていないもので、だ。

「そんなん当たり前や。無から有は生み出せるわけがないやろ」

ベタベタ派はそう反論するだろう。そうだ。無理だ。科学がどこまで進んでも、これは不可能かもしれない。なのに、我々を含め、周りはものだらけだ。

「おまえはなぜ、それが不思議ではないのだ」

と恵はその人に問いかけたい。

つまり、我々は超常現象とさえ言える「とんでもない不思議」の中に暮らしていると、恵には思えるのだ。



結論としては、同じものを見ても人それぞれで見え方感じ方が違うのは、「信じたい」ことが違いからではないか、ということだ。

だが、別に恵は、「これは人間の生み出した(変形させた)最高傑作である建物だ」ということを味わいたい人を否定するつもりはない。恵もそういうことも味わったりするし。

ただそれは現実と呼ばれているものの一側面なだけで、「それが正しい」「それしかない」ではないということを理解し、皆それぞれ「信じたいことを信じているだけ」だということに気付いて、イチャモン付けるのだけはやめてほしいねんけどなあ。。。

 

 

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