TOTO

INAX(イナックス)のライバル会社の方ではなくロックバンドの方である。このバンド、特にギタリストのスティーヴ・ルカサーが恵をロックの世界に引きずり込んだ。

 

誰かに似てる。宇宙人耳を付けた小峠?

 

恵は中学時代、フォークに嵌っていた。吉田拓郎・かぐや姫・風・サイモンとガーファンクル・松山千春など。中学3年の時から文化祭などで友人達と弾き語りをするようになり、高校ではフォークソング部に所属した。

高校の3年間はほぼ毎月ライブをやっていたのだが、高2の時、TOTOの「グッバイ・エリノア」という曲を聞いて衝撃を受けた。あまり聞いたことのない曲調だったからだ。

それまで恵はロックと言えば、ガチャガチャ喧しいだけのもののように感じていた。が、TOTOの音楽はもっと洗練された何かがあるように思えた。

 

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その頃から恵の髪形もストレートロングのフォーク風からクルクルのカーリーヘヤに変わった。その髪形でフォークを歌っていた(ボーカルなので)。

卒業後、卒業アルバムを見るとクラブ紹介のフォークソング部と軽音部の表記が逆になっており、「おまえのせいや」と皆からお叱りを受けた。恵のせいで製作者が取り違えたのだと言う。見ると、確かにそうかもしれない。他の部員にもたれかかる姿勢で斜めに写っている恵の姿はどう見てもロッカーのそれである。もうその頃には聞く音楽もロックに移行しており、気持ちもロックになっていたのだ。

 

アタシは父ちゃんの枕にもたれかかる。。。

 

TOTOはスタジオミュージシャンが集まって結成されたバンドだからか、個々の技術力が非常に高く、音楽性も一辺倒ではなく様々なジャンルの味わいが曲ごとに垣間見える。特に恵はスティーヴ・ルカサーのギターを気に入り、大学からはロックギタリストに転身しようかと思ったほどだ。

 

 

実際に、大学入学と同時に友人からエレキギターを借り練習し始めた。が、恵はそこですぐ思い出した。自分がギターの練習ができないことを。30分で飽きるのだ。向いていないのだろう。

中2でフォークをやり始めてすぐアコースティックギターは弾けるようになったのだが、これは「歌」があったためだ。その時の恵にとってギターとはあくまで歌の伴奏のためのものだったのだ。恵は歌なら一日中でも歌っていられた。

実際、自転車に乗っている時でも歩いている時でもどこでも小声で歌っていた。だが、ギターオンリーの練習ができないのだ。ある日ギターのスキルを上げようと思い立ってギターの練習を始めてみた。が、何度トライしてもやはり30分が限界だった。これを「才能がない」と言うのだろう。なぜなら、恵の息子は何時間でも弾いていられるのだから。恵にとっての歌のように。




恵は30代半ばの時、声帯ポリープを患った。日常会話には全く支障はなかったが歌うと高音が出ないのだ。文字通り音がなくなってしまう。それで思い切って手術した。歌が歌えないのは地獄だと思ったからだ。しかし、40歳の時再発し、再度手術したがまた1ヶ月で再発した。もう手術はせず、歌を諦めた。

そこから数年間は聞く音楽が全て女性ボーカルのものになった。男性ボーカルだと、つい口ずさんでしまい、声が出なくて気分が悪くなるからだ。恵は歌でプロになろうと思ったことは一度もない。才能云々のためではなく、ただ歌えていれば幸せだったため、その必要を感じなかったのだろう。

 

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そんな頃、まだバンド活動を続けている友人にそそのかされて、エレキギターを衝動買いしてしまった。気休めになるかと思ってしまったのだ。

ヤフオクで25万のフェンダーUSAをケース付で7.9万。ド素人の恵にとっては結構良いギターだ。が、やはり、恵は練習できない人間だった。しばらくは弾いたりしていたが、すぐケースごとお蔵入りした。

それから何年も経った後、息子がギターを弾きたいと言い出した。友達がギターを買って弾き始めたからだった。それはちょうど恵がフォークを始めたのと同じ息子が中2の時だった。

恵は蔵(クローゼット)からフェンダーを引っ張り出してきて息子に与えた。恵は何も教えなかった。もとより教えるほどの技術もなかった。

ギターを始める場合、多くはバッキングパートなどのコード練習から入るものだと思うが、息子は初めからウーバーワールドの「コアプライド」のソロパートから練習し始めた。それほど難しいものではなかったが、まだ指が動かない頃にいきなりソロでは挫折するのでは、と思っていたが、違った。



半年ぐらい経った頃か、扉の空いた部屋から聞こえてくる音に、「ん?」となった。たぶんその頃はボカロを弾いていたのだと思うが、リズム的にも速度的にも結構複雑で難しそうなものを既に弾いていた。その時点で恵はとっくに抜かれていたのだ。

中3の頃にはフリップサイドの「オンリーマイレールガン」など、運指の速い曲を何曲もほぼ完ぺきに弾けるようになっていた。やはり、向き不向きは大きく、才能ってあるのだと感じた。彼は今、将来ミュージシャンになるつもりで日夜練習している。

 

怖がりなアタシもなぜか兄ちゃんのギターの音は初めから怖くなかったんだ。




TOTOに戻る。

恵はボズ・スキャッグスも好きでよく聞いていた。昔クレスタというトヨタ車のCMで流れていた曲のギターソロがカッコ良かったためだ。

それから何年も後に、職場の昔ロックをやっていた先輩から「あれ、ルカサーやで」と教えられた。TOTO自体がボズのその曲が収録されているアルバム制作時に集まったスタジオミュージシャンで結成されたことを聞かされた。



また、これはつい最近知って驚いたのだが、恵夫婦はともに浜田省吾の大ファンでライブにも出かけるのだが、恵が浜省の曲で一番好きな「家路」のギターはルカサーが弾いていたのだというのだ。

恵が浜省を聞くようになった経緯については近日必ず書こうと思っているので今は割愛するが、数十年前、この「家路」を聞いた時、「ああ、日本にもこんなええ音出すギタリストがおるんや」と思い、それも浜省ファンになった一因だったように思う。(伝説のバンド「愛奴」の頃から浜省に寄り添うギタリスト町支寛二自身、ルカサーの影響が大きいことを明かしているそうだ)

つまりは、恵にギターの素晴らしさを教え、ロックにのめり込ませた3曲ともが全てスティーヴ・ルカサーの手によるものだったわけである。「そういうもんなんやなぁ。。」と、何か不思議な感じがした。なぜなら、この3曲のソロパートは同一人物によるものだとすぐに分かるほど似通ってはいないからだ。メロディーライン的にも音作りの点でも。少なくとも恵には分らなかった。



最後に、TOTOのおすすめのアルバムを聞かれた場合、恵は次の3枚を選ぶ。

「宇宙の騎士」「ハイドラ」「ターンバック」

 


宇宙の騎士

 


ハイドラ

 


ターン・バック

 

である。これはデビューからの3枚ということになる。当然、あくまで個人的な好みである。人によっては「ロザーナ」や「アフリカ」の収録された「聖なる剣」だという人もいれば「アイソレーション」だという人もいるだろう。しかし、恵にとってはやはりこの3枚の衝撃はどうしても忘れられず、「これぞTOTO」というのが一番味わえるように感じるのだ。

 

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あくまであくまで好みの問題なので、単なる参考程度に考えていただければ、と思う。

 

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