宇宙の果て

宇宙の果てについて、皆さんは考えたことがおありだろうか。

恵はある。小学生の時に。その頃よく遊んでいた友達の一人が恵と同じく「謎」好きだったので、よく二人で話していた。知性の目覚める時期だったのだろう。

その友人は後に東洋医学の道に進んだ。が、恵は科学を探求、、、はしなかった。「宇宙の果て」を考えると同時に「閉じた」のだ。この道では答えは得られないだろうと。

 

父ちゃん、また今日も難しい話するんかぁ。。。

 

他の人は知らないが、少なくとも恵は宇宙の果てを理解できないだろうと思った。なぜなら、恵は物事に「果てがない」ということが理解できない。「永遠に続く」などという理論が分からない。が、また、果てがある場合、「じゃあ、その向こうは?」となる。果てがあるのに「その向こうは何もない」という理論も理解できない。そして、もしその外側の宇宙があった場合はまたその果ての話になるので、やはり「無限化」してしまう。

皆さんは理解できますか?

 

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小学生の時、宇宙があるのだから答えは必ずあるはずなのに、そのどちらの答えを言われても理解できないし、それ以外の答えならもっと理解できないだろう、と思ってしまったわけだ。それで恵は科学に向かうより、どちらかというと、この世の現実性の方を疑い始めた。「この世ってなんだ?」と。

 

分からん分からん、そんなことより遊んで。。。

 

恵はいまだにビッグバン理論も理解できない。「無の状態の所へいきなり物質なりエネルギーなりが現れて、それが圧縮されて爆発して広がったものが宇宙」と言われても、「何もなかったのになぜ急に物が現れた? で、その物はどこに現れた? 宇宙空間のない時に? 宇宙が爆発して広がっているというその外側の空間は何?」となるのだ。。。今、「おまえがアホやから分からんねん」という声が聞こえたが、

では、アナタは本当に理解できるのですか、これを?



科学好きの人はごめんなさい。だが、何も科学をダメだと言っているわけでもない。ご存知の通り、科学はこの数百年で飛躍的に進歩し、VRまで生み出したほどだ。すごいと思う。

だが、それでも恵は科学で到達できないこともあると思うのだ。

たとえば、「鶏卵論争」にしても、科学者の中には様々な要素を調べてどちらかに「決めよう」としている人もいるが、「こっち」と言われて納得がいかない。 これも宇宙の果てと同じく、どちらだと言われても恵には理解ができないし、恐竜からの変異だから、こっち、と言われても、「ではその恐竜は?」と「果て」と同じ問題が生じるのだ。




最近、恵は「現実」と呼ばれるこの世界自体、「夢」のようなものなのではないか、と思っている。つまり、「全て同時発生説」だ。夢の中の人々・動物・建物などは全て同時に発生する。だから鶏も卵も同時。夢の場合、宇宙の果てはなくなる、かな。その人による? たぶん、視点である「私」が果てに辿り着かず永遠に果てを追っかけ続けることになる? ここらへんはどうなるかちょっと分からない。



 

「夢と現実は全然違う」と言われそうだが、本当にそうだろうか。

夢の中にも他人はおり、それぞれが独立しているように見える。自分の夢の中なのに、やはりその人たち(他人)の考えは現実世界と同じで読めない。人が死ぬこともある。葬式の夢だって見れる。時間の長さに関しても、それは感覚的なもので、現実世界の5分で夢の中では何日間もの生活を送る場合もある。従って、この現実と呼ばれる長い人生も、実は一瞬なのかもしれない。

しかしここで、この世界は誰の夢なのか、という問題が生じる。それぞれの夢、ということになると訳が分からないことになるので、「一人」の夢ということである必要がある。

「そんなことあるわけない」と思われる方も多いだろう。恵自身も感覚的にはそう思ってしまう。が、ここで「意識は年を取らない」で行きついた「意識」は「個人」ではないかもししれない、という推論がヒントになるのではないか、と思うのだ。学説的にも、ユングなどはそれを「集合的無意識」と呼んでいたように記憶している。つまり、我々は夢の中のように根本では一つだとする理論だ。



ここまできて、もうあることにお気づきの方もおられることだろう。「それはそうだとして、じゃあ、その一人がおる世界は?」という問題だ。様々な説があるようだが、だいたいこのパターンだとする説の場合は、「世界はない」ということになるのだと思う。元々何もなくただ一者が想像しているだけ。その思考の広がりが我々の世界。

ううっ、意味分からん。。。

やっぱり、実際に「目が覚めて」みるまでは分からんのかなぁ。ホントのことは。。。

 

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