「君はロックを聴かない」がたまらん(あいみょん再び)

ん? 何見て喜んでる? 友達(虫)おったのか?

 

あいみょんについては以前、「あいみょんの歌にノスタルジーを感じる」に結構書いたので、もうそれほど書くことはないと思うが、今、この曲を聴いていて、やはり良いので少しだけ。

 

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恵は最近マリーゴールドから彼女を知ったばかりなのだが、逆戻りで今までの曲もいろいろ聴いてみた。どの曲にもそれぞれ良さがあり全体的に好きだが、やはり恵にとってのトップ2は「君はロック~」と「マリーゴールド」である。1位は君ロックで僅差の2位がマリーだ。恵がオッサンだからと言うのも当然関係しているのだろうが、あいみょんは男性目線の曲の方が良く感じる。

上記のページで「泣きそうになる」と書き、そのポイントが歌詞ではなく、「その時伝わってくるもの」だと言ったが、それを一番感じやすい歌詞の部分はある。恐らくその部分で彼女が感じている(思い出している)エモーションに反応しているのだろう。

なんか、ややこしいね。。。

まあ、結構普通かもしれないが、サビの部分が全部ダメ。泣きそうになる。特に「少しでも僕に近づいてほしくて」のところと、「ロックなんか聴かないと思うけれども」の「けれども」のファルセットの部分。2番の「僕はこんな歌であんな歌で、恋に焦がれてきたんだ」の「きたんだァ~」のところ。その後のアコースティック部分は全部。ここのラストの2段上げの絶叫も感情の爆発的にたまらん。

当然、それまでの流れがあってこそなので、全部が良く、一曲全てで泣かされているも分かっている。もうかなり長く頻繁に聴いているが、廃れるどころか日に日にその良さを感じる名曲だと思う。マリーゴールドも完成度の高い良い曲だと思うが、恵にとっては君ロックは、これまで聞いてきた名曲の中の一曲に入れたいと思うぐらい良い曲である。

日本では「浜田省吾」で書いた「家路」や、The Birthdayの「涙がこぼれそう」、バンプの「ハルジオン」「K」、海外では、サイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」、エルトン・ジョンの「your song」、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」など、恵にとっての名曲は数多くあるのだが(もっとあると思うが、今思い出せない)、「君ロック」も、それらと並んで、いつまでも色褪せない曲となる予感がしている。

 

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恵の良い歌かどうかの判別方法というか、どんな歌に感動するかについては「音楽チャンプはなぜ終わる?」に詳しく書いたのでそちらをお読みいただきたいが、「歌っている時に魅力的に見える歌手」はうまいと思う、ということも、そのファクターとして付け加えておきたいと思う。

あいみょんは元々かわいいとは思うが、恵のメイチの好みではない。だが、歌っている時は惚れそうになる。これは年齢性別に関係なく恵はそうなる。子どもやおばさんにでもなるし、またそのケはないが男にでもなる。

歌がうまい人間は、歌詞を「言葉」で伝えようとするのではなく、その歌詞の理解を内面から出てくるエモーションで伝えてくる。だから説得力がある。また、それだからこそ、海外の何を言っているか分からない曲でも感動したりするし、ハートから来たものだから、それを発している人間が魅力的に見えるのだろうと思う。

また逆に、歌うと「いらぬもの」しか伝わってこない歌い手もいる。「うまいだろ? どう? カッコいいだろ?」とか、「凄いと思われたい。モテたい」とかしかメッセージが前に出て来なかったりするのだ。

これは恵には恐ろしく辛い。恵は言葉や節回しではなく、常にメッセージを読み取ろうとして歌を聴いているためか、そういった感情やメッセージもよく「聞えて」しまうからだ。

たとえ、歌が少々技術的に下手でも、歌詞の内容を感じているエモーションを伝えてくれていれば、とりあえずは「良い歌」と言える。多少音を外しても、それで気分が悪くなることもない。

が、逆に、どれだけ声が良くて節回しがうまくても、「いらぬもの」も一緒に伝えて来れらると、まともに聴いていられなくなる。主音声(歌詞)と副音声(本音)を同時にかけられている形となるからだ。

歌ってる最中に「ここ。いい感じだろ?」「この低音、シビれるでしょ?」とか喋っている奴が歌手の横にいると思ってもらうと幾分近い感じだと思う。




以前も言ったが、歌はメッセージを伝えるためのもので、声や技術はそれを伝えやすくするための道具だと思っている。つまり「メッセージありき」である。

が、そういう歌い手は歌詞の内容にではなく、自分の声や節回し、あるいは「凄いと思われたい」などの「想い」に意識を置いてしまっているので、出している音声(言葉)とは関係ない内面が出て来てしまうのだと思う。

確かにメッセージを伝えやすくするためには良い声や技術はあった方が有利だ。が、それはあくまでメッセージを伝えるために、である。技術偏重になってメッセージを伝えることを忘れてしまうと、それは本末転倒で「何も伝わってこない歌」となるのだ。

まあ、いくら声が良くて技術があっても、恵がいうメッセージ力のない歌手はあまり売れていないので、多くの人が恵と同じ聴き方をされているのだと思うので、こんなこと力説しなくても良いんだろうけどね。

 

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また音楽論的になってしまったので、あいみょんに話を戻す。

冒頭で「逆戻りでいろいろ聴いた」と書いたが、デビュー曲の「貴方解剖純愛歌~死ね~」などは「climbgrow」と同じで、今よりもずっと阿部真央の歌い方に似ていて曲も似ていると思う。知らなければ阿部真央の新曲と勘違いするかもしれないほど。

だが、「あいみょんの~」にも書いたが、今は声や歌い方が似ていても、曲が少しスピッツなどに似ていても、彼女自身のオリジナリティーが存分に出ているので「モノマネ」と言う意見は完全に間違っていると思う。まあ、この辺のことについては、前回のページを読んでほしい。

後、「生きていたんだよな」を初めて聴いた時、教育委員会なりPTAが騒ぎ出さなければ良いがと思ってたが、そういう話は聞かないので大丈夫かな? 歌詞が「自殺のすすめ」っぽく聞こえると思うので。

だが、あれは歌であって「詩」ではないから、あの歌を聴いて「自殺したくなるか」もしくは「そう思っていた人間が思い留まろうとするか」で判断してほしいと思う。なぜなら、歌はメッセージが大事で、伝わってくるものが命なのだから。

そして、恵は後者だと感じるのだ。確かに歌詞自体は自殺を推奨している美化している感じがあるが、あの歌を聴いて自殺したくなるとはどうしても思えない。逆にそんな心境の人間が聴けば、「理解者がいる」と心が温まって思い留まるように感じるのだが、皆さんはどう思われますか?



あいみょんの歌にノスタルジーを感じる

 

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