常識って何? その①

これからインドについて話そうと思っているのだが、この国、語るにはなかなか難易度の高い国である。実はこのブログを立ち上げた当初からインドについて書こうと思っていたが、今まで書き出せないでいた。何を書いてもどこを切り取っても行ったことのない人には誤解を生みそうに感じるからだ。

 

 

とにかく、一言で言い表せるほど単純な国ではない。外国人だというだけで大人も子供もぞろぞろ集まってくるぐらい好奇心は旺盛なのに、猿を見つけるごとに突然合掌しながらヒンズースクワットするオッサンがいても誰も見向きもしない。恵は仕事を辞めて2ヶ月間滞在したこともあり、ある程度はその文化や風習も知っているのでその理由は分かるが、これをいちいち説明していくとどれだけの量になるのかも分からない。それで書き出せないでいたが、「英語」と「微笑みの国」で少しインドについて触れたことにより、書く「勇気」が湧いてきたので書くことにする。

 

父ちゃん、アタシを置いて海外なんて行かんといてや。。。

 

初めてインドに行った時、恵はまだほとんど英語が話せず尚且つ独りだったため、パックツアーを利用した。と言っても、催行人員1人で現地までのタクシーとホテル、空港への送迎が付いているだけのものだった。

「なんじゃ、こりゃ」

エアインディアが予定通り? 予定を大幅に遅れ、日本を発ってから16時間後にボンベイ(現ムンバイ)に着いた時は深夜3時頃だったと記憶しているが、ツアー会社からミーティングポイントに指定されていた通路に出た恵は唖然とした。そこには大量のインド人が待ち構えていたのだ。

「これで探せるんかなあ……」

ツアー会社からは「行けばすぐわかりますから」と言われていたが、こちらからはとても現地のエージェントを探せそうにない。プラカードで自分の名前を見つければ良いと思っていたが、その大量のインド人のほとんどが何某かのプラカードを持っていて、また、その字が恐ろしく読み辛いのだ。それこそ「ミミズがのたくったような字」で、中にはどう見てもアラビア文字(ヒンディー語?)にしか見えない英語だったりするのだ。



困って立ち尽くし、胸に張ったツアー会社のシールで向こうから見つけてもらうことを期待して待っていると、一人のかなり小柄な老人が近付いてきた。ツアー会社からも「シールを見て向こうから寄ってきますから」とも言われていたのだ。

非常に愛想よくニコニコしている。こちらもほっとして笑顔を返し、胸のシールを指差す。相手が頷く。恵も応えて頷く。そばまで来て立ち止まった彼が口を開いた。

「ああ、、タ、ニ、グチ?」

「全然、違う」

全く関係ない人だった。なぜ、寄って来たのか? シールに効力はないのか?

そこに立っていても仕方がないので、とりあえず外に向かって歩き始めた。そのうちまた誰かが寄ってくるだろうと。だが、どこまで進んでも誰も寄ってない。

「大丈夫か、これ。どないかなるんか?」

外に出るドアの近くまで来た時、ドアの前に若く眼付きの鋭い二人組が立っているのが目に入った。

「もうあいつらしかおらんけど、、、なんや、危なそうな奴らなんやけど……」

近付いて、シールを示すと、一人がこちらも見ずに頷き、胸ポケットから何やら小さい紙の束を出した。それを恵の方に見せながら、

「ボウクトゥア・クァェイ?」

と訊く。

「はっ?」

すぐには分からなかった。それを見て、相手は少しイラついた様子で、もう一度同じ言葉を口にした。それで恵は漸く自分の名を言っていることに気付いた。

「う~ん、なんか違うけど、たぶん、俺のことなんやろなあ、、、イエス」

恵は少し不安ながらもそう答えた。漠田恵(ばくた・けい)はもちろんペンネームであるが、本名も結構珍しい目の名前なので、他との区別はつけやすいのだ。

そこから彼は一枚ずつバウチャー(契約内容を書いた小さな紙)を見せながら早口で確認を取り始めた。一枚見せてはベラベラ小声でしゃべり、最後に「イエス?」とこれだけははっきりと訊く。恵はほとんど聞き取れないまま、曖昧に頷いていた。この人物と恵の英語力では、しっかり確認を取ることは不可能に近いと判断したのだ。

「まあ、ツアー会社も相手に任せてれば良いって言うてたしなあ……」

確認が終わると、相手は顎で示して外へ出て行く。恐ろしいまでの早足で暗闇の中をどんどん進んで行く。はぐれたら、深夜のボンベイに置き去りになると焦るが、キャリーカートが駐車場のジャリに引っ掛かってうまく転がらない。慌ててハンドルをしまって持ち上げ、ほとんど走って追いついた。



車は深夜で誰もいない街をかなりの高速で走る。店も全部閉まっていて、おまけにほとんど街灯がないため車のライトだけが頼りだ。そのライトに照らし出される風景が次第に怪しいものに変わってくる。スラム街のような場所に入ったようだった。

「ほんまに大丈夫かな……」

前の席に黙ったまま座っている二人を見ながら、恵の不安は増していった。

「もし、俺が彼らの客ではなかった場合、どうなるんやろ……」

やはり、ちゃんと確認すべきだったと後悔し始めた。

「もし、こんなところに置き去りにされたら、生きて帰れるんかな……」

16時間以上タバコを吸っていないことと、時差のため日本時間に直すと既に朝であり、徹夜で疲れていることが重なって恵はかなりナーバスになっていた。

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だが、そんな心配をよそに、車はちゃんと目的のホテルに着いた。フロントに行くと、その不愛想なエージェントがパスポートと航空券を貸せと言う。従うと、彼が代わってチェックを済ませてくれた。

「ん? 何?」

その彼が微笑みながら、右手を出している。

「ああ、握手か」

理解して、恵は相手の手を握った。

「テキニージー(気楽に。落ち着いて)」

ミッションを終え、彼はそう言って初めて微笑んだ。

「おまえが不安にさしとるんやがな……」

そして彼らはすぐに去って行った。

「ようするに、早く帰りたかったんやなあ……」

インドではよくあることだとはいえ、4時間ほど飛行機が遅れたために12時に終わる仕事が朝の4時近くになったら当然嫌だろう。だが、それは恵のせいではない。日本の場合、そんなことで客に当たることは有り得ない。

「まあ、そうは言うても、仕事はちゃんと全うしてくれたし」

とりあえず、ほっとして恵は部屋に向かった。

この時の恵は、インドには不愛想な職員が多くいるが、だからといってちゃんと仕事をしないわけではないこと、そして、逆に愛想が良すぎる人物こそ疑うべきであることをまだ知らなかった。

実際には、まだこれはほんの序の口で、インドに慣れた人にとってはごく普通のことなのだが、初めての海外一人旅の場所としてインドを選択してしまった恵は、これだけで既に少し後悔し始めていた。

 

 

昨夜(と言ってもほんの4時間ほど前だが)の二人とはうってかわって、朝迎えに来たエージェントはかなりノリが軽い人物だった。始終笑顔である。運転手の方も運転手然とした格好をしていて、こちらも笑顔を見せる。恵も1時間半ほどしか眠れなかったが、それだけで随分気分が良くなっていた。

国内線の空港へ向かう道中、彼が何かと話しかけてくるのだが、訛りがひどく恵の英語力ではほとんど聞き取れない。仕方なく曖昧に流していたが、相手はそれに対して全く気にした様子はなかった。それほどこちらの返答を期待しているようではなかった。




困ったのは、「リコンファーム(予約の再確認)しておくから航空券を寄こせ」と言ったことだ。このことは日本のエージェントからは聞かされてなかった。自分でするように言われていたのだ。それで何度も「自分でする」と言ったのだが、相手は執拗に寄こせと言う。仕方なく渡し、いつ返すか訊くと、「帰国日に寄れ。その時渡す」と言う。

「ほんなら俺は、航空チケットが手元にない状態で最終日までインドで過ごすんか。ほんまに大丈夫か、こいつ。その時になってリコンファームしてないとか言われたら、シャレにならんし、なくされたりしたら帰られへんようになる……」

そう思っていることに気付いたのか、しきりに「ノープロブレム」を連発している。が、恵のチケットを持っている手は、高速で走る車の窓から半分出したままなのだ。台風が直撃した街に立つTVレポーターの雨ガッパのようにチケットが風にバタバタなびいている。そのことを指摘しても、やはりノープロブレム。だが、本当に途中で一度チケットが風に飛ばされそうになり、それ以後はさすがに彼も手を中に戻した。

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国内線に乗り、バンガロール空港に降り立った恵は、またもや出口の人だかりに圧倒され、一瞬立ち止まったが、今度は運転手の方がすぐにこちらを見つけてくれた。ここからはエージェントはおらず、運転手だけになる。立って人だかりを見ている恵に対して、「シーッ!」と口を鳴らす無表情な人物がおり、目が合うと顎をクイッとやって合図してくる。

「シーッ! って……どんな呼び方やねん」

犬にでもなったような気分だったが、とにかく近付いて名前を言いシールを見せると、相手は頷いて恵の荷物を持ち、外へ出て行く。恵も黙ってそれに続いた。



彼について外へ出た時、出口の真ん前に老婆が座り込んでいるのが見えた。物乞いのようだった。右腕と左足が途中からなかった。

「こんな人が一杯おるトコで、よう財布出さんし……」

一瞬目が合ったが、すぐにそらし、恵は運転手について歩いた。




どういう理由かは分からなかったが、その運転手は車を出口近くにある空港内の駐車場に乗り入れてはいなかったようで、かなり歩かされた。ようやく未舗装の駐車場に着き、横の車にぶつけないように気を付けながら自分でタクシーのドアを開けた時、何かが背後から聞こえた。

「ん? 猫?」

何かがシャーシャー言っている。猫が何ものかを威嚇している声が遠くから聞こえているのかと初めは思った。

気にせず乗り込もうとした時、また聞こえた。

「シャー、シャー」

明らかに先ほどより大きな声で、しかも猫ではなく人間のしわがれ声であることに気付いて恵は振り返った。が、誰もいない。。。と思ったが、視線を下の方に移していくと、

「うっ……」

自分の足元に何かがうずくまっていることに気付き、恵は反射的に飛び退りそうになった。が、何とか踏みとどまった。もし、飛び退いていたら、タクシーのドアに体当たりしてしまい、ドアが隣の車にぶつかってしまっていただろう。

「シャー、マニー、シャー」

「……」

先ほど空港で見た老婆が、左腕と右足にチャッパル(インドサンダル)を履いて立っていた。。。というのか、片腕と片足で胴体を支えているのでかなり前傾になり尻が持ち上がっている。表現は悪いが、ちょうどカマドウマ(通称・便所コオロギ)のような姿勢だった。

「ここまで……歩いて…えっ? 来たんか?」

まだ恐怖が去らず、恵は少し混乱していた。

「シャー、マニー、マニー」

相手はお構いなしに言う。ようやく意味を理解した恵は財布を開け、コインを取り出して渡した。尻餅を付いてそれを無言のまま受け取った老婆は、コインを一度確認してから懐にしまい、また二つん這い?になって帰って行った。

「俺ら、結構な速足でここまで来たのに……」

恵は、自分の後ろから必死になって追いかけてきている老婆の姿を想像して、また少し怖くなった。

 

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ちなみに「シャー」は英語の男性に対する敬称の「サー」の訛ったものらしい。「イエス・サー」のあれである。

「何でここまで、、、何で俺?」

その時はそう思ったが、インドの物乞いは「くれる人」を見分ける能力に長けているようだということに、恵は後に気付くようになる。

インドに着いてまだ数時間しか経っていないにも関わらず、日本の常識に毒されていた恵には驚きの連続で、この時はもう初海外一人旅の地にインドを選んだことをしっかりと後悔していた。

 

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