護られているとしか思えない不思議な出来事

アンはどの部屋にいる時も、常に恵のそばでドア側を向いている。
そのため寝る時も、いつも恵の足側(ドア側)を向いているのだが、
これは飼い主が頼りない場合に取る行動で、護ろうとする本能らしい。
って、おまえ、紙袋1つで飛んで逃げるぐらい怖がりなくせに。。。

 

前回、「幽霊を見続けて気がふれた友人達(興味を持つと見えるようになってしまう?」で、超能力というか法力を発揮する坊さんの発言、恵が「護られている」というのが理解できると書いたことについて、今回、詳しく書きたいと思う。

 

 

恵は過去に何度か身の危険を察知したり、運良く助かったことが結構多くある。一番わかりやすいものを挙げると、バイク事故である。恵は今までにたった2度だけ泊りがけのバイクツーリングに友人と出掛けたことがあるのだが、その2度とも救急車が来るほどの事故に遭っている。

運が良いのか悪いのか、2度とも恵自身は怪我をしていない。

1度目は高校2年の時、3人でツーリングに行った帰り道、それまでは恵が先頭を走っていたのだが、途中でどうにも前に進むのが嫌になり、ノロノロ走り始めた。すると、それを見かねた友人の1人が、合図して先頭に出てくれたのだ。

当時、恵たちは大阪に住んでいたのだが、そこはもう泉佐野という大阪の街の中だった。我々が走っている側は空いていたが、反対側は信号待ちのためか渋滞というかほぼ停滞していた。

先頭から3番手に変わってまもなくの頃だった。反対車線に停まっているバスの後ろから自転車に乗った女学生が顔を出した。直接事故に遭ったわけではないのだが、なぜか、恵の視野はスローモーションになっていた。

そのため、感覚的には「ああ、女の子が顔を覗かせて渡れるかどうか見ているな」と思って随分経ってから、先頭の友人がその子の自転車をはねた感じがした。

身体に直接バイクがぶつかったわけではなく、自転車の前輪に当たったため、女の子は倒れてくる自転車に倒される形でその場にしゃがんだ。彼女はすぐに起き上がろうとしたが、セーラー服のスカートが自転車に引っ掛かっていたらしく、スカートが脱げてしまい、そのため彼女はまたすぐにしゃがんで、怪我にも気付かず必死にスカートを履き直そうとしていた。

先頭を走っていた友人は激しく転倒して、バイクごと進行方向を斜めに滑ってゆく。

この時の事故の結果を簡単に言うと、女の子の太ももに自転車のスポークが1本突き刺さっていたことと、友人の身体が擦過傷だらけになったこと以外は、大きなケガはなかった。




2度目の大学4年の時はかなり大事になった。この時は前回で言うところのAを含む4人で行ったのだが、そのうち3人が入院を強いられたからだ。そして、そのうち1人を除き、3人は大学を留年し、通算5年間大学に行くことになった。

そして、4年で大学を卒業した1人というのが恵である。

今度は帰り道ではなく出発日だった。やはり順番に先頭や並びを変えながら進んでいたのだが、恵が先頭を走っていて愛知から岐阜県に入ってしばらくした頃だった。そこは確か各務原市だったと思うが、やはりどうにも進む気になれず、今回は勝手に路肩に停止した。

「いや、道分かれへんし、そろそろ代わってくれへんか?」

「どうした?」という友人の質問に、恵はそう答えた。

「いやいや、ずっと真っ直ぐやし。そう言うたやろ?」

「う~ん、そうやねんけど……」

恵自身、事故の光景が見えるだとか事故に遭いそうな予感がする、というわけではなく、いつも「何となく嫌になる」というだけなので、説明するのが難しかったのである。

ただ、それまで最後尾だったAがそのやり取りを聞いて、「じゃあ、俺、先頭行く。まだだったから」と言ってくれた。

そこで恵は2番手を走ろうと思ったのだが、Aが「先の方になったら道分からなくなるから、O、2番手に来て」と、この旅の立案者で道に詳しいもう1人の友人Oを誘い、Oが承諾して2番手に付いた。

そこで3番手に走り出そうとした時、もう1人の友人Sが片手を上げて合図し、3番手に入ったため、恵は最後尾となった。

 

 

その岐阜の国道は両側の車線とも混雑しておらず、4人ともゆったりのんびりと走っていた。が、それは再度走り出してそれほど経っていない時に起こった。

ある1つの交差点に差し掛かる時だった。遠くに見える信号機は赤だったが、左右の歩行者信号の点滅から推測して、もうすぐ青に変わる。そのままの速度で進めば先頭のAでさえノーブレーキのまま交差点を通過できる、というタイミングだった。

こちら側の車線に信号待ちの車はなく、反対車線側に数台停車しているだけだった。

予想通り、信号は青に変わり、我々はそのまま交差点を抜けようと思った。

その時だった。反対側で信号待ちしていた1台が急にハンドルを切り、我々側の車線に猛スピードで飛び出してきたのだ。

この時も視野はしっかりとスローモーションになっていた。

斜めに切れ込んできたクラウンに先頭のAが右足を弾かれ、コマのように回転して転倒し、進行方向を前へと滑っていく。続いて2番手のOも右足をバンパーで弾かれ、路肩側に転倒した。

当初のクラウンの進入角度から考えると、2台を撥ねてそのまま直進すればこちら側の道路脇にある中古車センターに突っ込んで終わりのはずだった。が、なぜかクラウンは進路を変え、反対車線を逆走する形で進んでくる。4人とも跳ね飛ばしてやろうとでもするかのように。

恵の言葉にならないその時の感覚を言葉に置き換えてみる。

Aの時、「あっ!」

続いてOの時、「早く助けなアカン!」

その後、進路を変えクラウンがこちらに突進してきた時、「嘘やろ?」

3番手だったSは正面衝突して、4番手だった恵より後方に吹き飛ばされたのだが、その時は既に恵の方へとそのクラウンが向かって来ていたため、飛んでいくSの姿は視界の端がわずかに捉えただけだった。

その時の想いは「えっ? 俺も当たる?」というものだった。

当然、これらは言葉ではない。そんな時間はなかった。全員がクラウンとぶつかるまでほんの数秒間だっただろうから。そうでなければ避けることができたはずだ。

そして、恵がクラウンと接触する時にはどちらの速度もかなり落ちているように「感じた」ため、恵はタイヤが衝撃を受け止めるのではないか、と思っていたが、接触した途端、前輪を支えているフロントフォークがグニャリと曲がって驚いた。

感覚的には、ポンと触れた程度で、誰かの怪力でバイクを捻じ曲げられたかのような感じだった。それだけ、思ったより衝撃は強かった。

が、恵は立っていた。ぶつかった瞬間、反射的に倒れ込むバイクを下に押し下げる要領で、横に飛び退っていたからだ。




原因は居眠り運転だった。相手は我々より若い子で、朝釣りに行った帰りにうっかり信号待ちで寝てしまったらしい。

しかし、今考えても、誰かの策略としか思えないほどの偶然によって成り立っていると思う。

そのクラウンは信号から3台目ぐらいだったと思うが、信号が青に変わって発進する寸前に寝落ちし、たまたま右に倒れ込み、それによってハンドルが切れると同時にブレーキから足がアクセルに落ちたため、勢いよく反対車線に飛び出してきた。

これはそのクラウンがオートマだったために起こった事故だ。これがマニュアルだったら、発進しないかエンストしてその場に止まっていただけである。マニュアル車を走らせようと思うと、クラッチを繋がなければならないから。当時は今ほどオートマ車は多くはなかった。

そして、その時ちょうどAが通過する寸前だったため、ピンポイントで狙ったかの如く右足にぶつかり、コマのように回転して吹き飛ばされ、運転手が少し覚醒してハンドルを動かしたため2番手のOにも当たり、ここでしっかり目が覚めて驚いてハンドルを戻したために後の2人の方へと向かってきたようだった。

今、これを書いていて、読者に信じてもらえるかが心配になってきた。だが、これは事実であり、決して妄想ではない。

本当にはする気はないが、証明しようと思うと当然できる。30年以上経った今も入院していた(恵は付き添い)病院の場所も名称も覚えているし、警察が単なる事故の調書を30年以上残しているかどうかは分からないが、聴取を受けた交番の場所も、恐らく嫁に訊けば分かると思うので。

実は、恵はこの事故の後、その地・岐阜で今の嫁と知り合ったのである。だから、土地勘のある彼女に訊けば、かなり詳細にわたっていろいろな証拠を見つけ出すこともできるだろう。だいたいそれ以前に、事故に遭った3人とその家族、見舞いに来た人たちだっているし。

まあ、やる気はないから結局証明できないけどね。




幸い、頭を強く打った者は誰一人いなかった。ただ、3番手で後方へ10m吹き飛ばされたSはもう少しで死んでいたかもしれない。駆け寄った時、倒れていた位置が道路脇の縁石と縁石の間だったからだ。落ちる場所が少しずれていて縁石に頭や首を強く打ち付けていたら、どうなっていたかは分からない。

Sは片足の単純骨折だけで済んだ。彼は正面衝突したため、直接クラウンとは接触しておらず、この骨折は結構高い位置から地面に叩きつけられた衝撃によるものだった。

2番手だったOは、右脛の裂傷だった。48針縫う大怪我で、筋肉も幾らか断裂していたし、後に逆U字型に縫った内側の皮膚の一部が壊死を起こして黒くなった。が、それだけの衝突にも関わらず、骨は折れていなかった。筋肉量の多さと骨の強さが関係していたのだろうか。

Oはラグビー部のフォワードでなかなか豪快だった。2ヶ月以上入院、皮膚移植必要、引退試合には出場禁止という医師の診断を無視して1ヶ月で退院し、皮膚移植も結局せず、引退試合には脛パッドを付けて出場した。

また、退院してからそれほど経っていないある日、恵が彼の部屋に遊びに行くと、彼は新聞紙を敷いて何かをしていた。恵はてっきり爪を切っていると思ったのだが、実際には壊死した皮膚をカッターで削っていたのだ。

壊死ってそんなことでどうにかなるの?

だが、その後、皮膚移植したという話は聞いていない。




先頭だったAは、搬送された病院では手に負えないということになり、翌日愛知県のその方面では有名な大病院へと移された。右脛の骨がバラバラで、大腿骨が骨盤の受け皿を突き破っていて、丸1年間入院した。

事故の時、Aはライダースーツを着ていたため、膝には硬い保護パットが入っていた。そのせいで膝の皿は無事だったが、その代償として大腿骨が骨盤骨を突き破ったのだ。

恵はOとSの2人が入院している搬送先の病院にそのまま付き添いとして留まり、事務的な手続きや事情聴取、買い出しなどをしていた。が、主な仕事は「話し相手」だった。ネットも携帯もない時代のことだから入院中は退屈なのだ。

そして、単純骨折だったSが2週間後、大阪の病院に転院する時、一緒にタクシーで帰ってきた。それからはSのところには毎日、残りの2人のところへは定期的に見舞いに行った。と言っても、Oはその後2週間で退院したので1度だけだったと思う。愛知の病院にいるAの方へは月1平均で行っていた。どこかAをはじめ皆が恵の身代わりになったように感じて、できるだけのことはしたいと思っていた。

その後、皆元気に回復したが、Aの右足は左足に比べると幾分短い。見た目には分らないぐらいではあるが。

 

 

これ以外にも、もっと信じられない「死んで当たり前」を無傷で済んだことも何度かある。

高校3年の夏に車の免許を取ったため、恵は毎晩、父親の車を借りて友人たちとドライブしていた。昔のことなのでお許し願いたいと思うが、当時は滅茶苦茶な運転の仕方だった(今は安全運転である)。

国道170号線を北から南へと走っている時だった。夜、道が空いていることを良いことに、恵は調子に乗ってスピードを出していた。警告音が鳴り続けていたので最低でも105km以上。その時乗っていたブルーバードはその速度ぐらいから警告音が鳴ったためである。

少し、胸騒ぎはしたのだが、その日の恵はそれを無視して飛ばし続けた。なぜか「恐くなんかない」と、挑むような感じだったと記憶している。

そして、瓢箪山駅付近に来たときである。北から来ると少し勾配があるため線路の高架の向こう側はなかなか見えてこない。警告音は鳴り続けている。そして、勾配を昇り切った時、進路をふさぐ形で横向きに停車している車が目に入ったのである。

後で推測すると、線路脇にある大型スーパーの駐車場から対向車線に出ようとして失敗し、入れる隙間ができるのを待っていたのだろう。

恵は反射的に急ブレーキをかけてしまった。そのためにタイヤがロックした。当時のブルーバード(そのグレード)にはまだアンチロックブレーキは付いていなかったのだ。

下り坂になったところでロックしたため、余計に後輪が左右に滑る。それ以降に凍っている道路やぬかるみで経験したことがあるが、その時と同じように、カウンターを当てても勝手に右に車体が滑っていき、しばらくしてから今度は急に左に滑り始め、また逆にカウンターを当てても同じようになる、といった感じで全くコントロールできないようになっていた。

突進してくる車に気付いたため、その車が少しだけ前に進んだ。それにより、フェンスと車の後部とに車1台分ほどの空間ができた。

が、後輪が左右に滑り続けていてハンドルを右に左に目一杯切り続けている状態でそこを抜けるのは至難の業である。ただ、コマのようにくるくると回転してしまうのを何とか防いでいる程度の状態なのである。

そして、そのスペースは真っ直ぐに進入してちょうど一台通れるかどうかぐらいなのだ。左右にぶれていなくても、その速度では接触せずに通り抜けられる自信すらないぐらいのギリギリに近い空間だった。

だが、恵は仕方がないので、その空間だけに意識を集中してコントロールが利かず左右に大きくぶれたまま突っ込んだ。

どうやって通り抜けたかはよく分からない。が、通り抜けてからもまだしばらくの間、車のコントロールは利かなかった。あまりに滑り続けるので恵はもう道路脇のフェンスにぶつけて止めようかと思ったぐらいだ。それぐらいいつまで経っても滑りが収まらないように感じた。

だが、後でそのことを同乗者に話すと、助手席に乗っていた奴に、「アホ。そんなことしたら俺は死んでる。まだあの時、結構な速度が出てたんやから」と言われた。

とにかく車が停止して、ホッとした時、後ろで激しく警笛が鳴った。ぶつかりかけた車がまだそこにいて、「恐いやろ!」と怒っていたのだ。そして、その車は対向車線に入って消えていったが、その時、恵は「確かに悪かった。が、それはおまえもやろ?」とも思った。視界の利かない場所で対向車線を塞ぐ形で停車するのは自殺行為だからだ。

その後、その場所は何度も通ったが、北から何度通ってみても、やはり助かったことが信じられなかった。距離がほとんどないのだ。法定速度の50kmで走っていても、高架の向こうが見えてから駐車場の出口まではすぐなのだ。そして、対向車線に可能な限りはみ出したとしても、やはり車の後部とフェンスとの間にはあまり大きな隙間はできないと感じる。

そこを蛇行しながら抜けたのである。計算してみると、右に後部が滑っている時に左向き(フェンス向き)に進入して、その時、後部が逆に滑り出してフェンスに当たる前に抜けたことになりそうだった。

そうなのだろうとは思うが、それでもあの時の蛇行状態を考えると、どこにも接触せずに抜けるのは、やはり不可能のように思われた。しかも、抜けてからもフェンスにぶつけて止めようかと思ったぐらい蛇行し続けていて、である。



また時を逆行するが、これは小学校の高学年ぐらいの頃だったと思う。恵は小学2年から高校2年までボーイスカウトに入っていたのだが、その催しとしてのオリエンテーリングで山にいた時、チェックポイントを探していて、もう少しで川べりにある大きな岩の上に叩きつけられそうになったことがあった。

まあ、これは単純な、どんくさい話である。チェックポイントがそんな所にあるはずもないのに、なぜか山の崖側の下を覗き込もうと、横に立っている低木らしきものを頼りにしようと掴んだ時、その木が抜けたため、バランスを崩してそこから転落したのだ。

よくは分からないが、それは生えていた木ではなく、誰かが突き刺しただけのものだったのだと思う。抜け方が「スポン」という感じだったからだ。よく見て掴んだわけではなく、視界に入っていて感覚で掴んだだけだった。

急斜面なため、結構勢いよく転がったのだが、そこからは垂直に落下し、数メートルの高さから大きな岩がごろごろ転がっている川べりに叩きつけられる、という寸前で笹の束を掴んで助かった。ブランブランという感じで。

掴もうとした覚えは当然ない。縦横斜め、訳が分からず転がっていたので、何が近くにあるかさえ見えていなかったし、何よりそれほどの時間もなかった。

だが結果、ドラマなどで崖からぶら下がっている人と同じ姿ではなく、横向きに丸まった猿のような体勢で笹の束を両手でしっかり握っていた。だから、胴体も足もまだ土の上にあり、崖下には出ていなかった。もしそうなっていたら、当時の恵の握力では手が離れていたかもしれない。




また、もっと自力とは思えないこともあった。

それは25歳ぐらいのことだったと思う。結婚前、嫁に会いに行った帰り道の夜の名阪国道でのことだった。この頃は小説を書いていた時期なため、平均睡眠時間が3時間ぐらいで常に眠く、風疹・おたふく風邪・原因不明の41度の熱を一年間にやるほど体調も悪かった。

どういった理由かは分からないが、その日の大阪方面行きは非常に混雑していた。2車線とも前も後ろも車が詰まってまま流れているといった状況だった。高速ではないのだが、東名阪と西名阪をつなぐ準高速道路(自動車専用道路)であるため、結構、皆飛ばす。日曜日の夜ということもあり、明日の出勤に備えて早く家に帰り付きたいというのもあったのだろう。

恵はその日、すこぶる体調が良くなかった。少し風邪を引いていたのかもしれない。眠気が収まらないのだ。テールランプを見続けながら暗い道を走り続けていると耐えられなくなってくる。

早めにどこかで停車すれば良かったのだが、「本当にヤバイ」となった頃、その時近くに休める場所はなかった。

ウトウトし始めたため、大声を出してみたり太腿を叩いたりして何とか起きようとしていた。前後も横も全て詰まっている状態で、しかも100km前後で流れている時に少しでも寝てしまったら、その途端に死亡者が出るほどの事故を起こす。ハンドル操作はもちろん、アクセルやブレーキのコントロールが変わっただけでも事故が起きる可能性があった。

そして、恵は最悪のタイミングで寝落ちしてしまった。下りカーブに差し掛かる寸前に意識を失ったのだ。普通なら、他の車を巻き込んで崖から転落していてもおかしくはない。運良く落ちなくても大接触事故だ。

が、寝てしまったことに驚いて目を覚ますと、そこはもう既にカーブを通り過ぎた後だったのである。

つまり、「意識は失っていたが、身体は反応していた」ということになる。が、そんなことがあるのだろうか? ボクサーがダウンして起き上がってから無意識のまま闘うことがあるが、眠りに落ちてもそういうことは起こるのだろうか?

また、恵は後に「突発性全健忘」というものになったことがあるのだが、あれは一時的に記憶をキープできない状態なだけで、意識を失って行動しているわけではない。

まあ、医者や科学者なら、この行動の理由も何か見つけるのだろうと思うが、実際には、こういう状況では事故になる場合の方が多く、恵のように「気付けばカーブを曲がり切っていた」ということの方が遥かに少ないだろうと思う。




これを読んでこられた方はもうお気付きだと思うが、「自業自得」と言えるものもあるが、結構運が悪いと言えるものもあり、だが、それを運よく回避しているという感じである。

恵自身のせいで起こったまずい状態かどうかは別として、結構いろんなヤバイ状態に遭遇しながら、常に助かる理由は何なのか?

「前世で徳を積んだから」「この世に必要な、何か良いことをする人物だから」とは思わない。前世で徳を積んだにしては悪いことがよく起こるし、恵の性格上、世のためになるほどの偉業を成し遂げるとは考えづらい。そして、既に50半ばである。

ただ、書いたこと以外のことも合わせて、恵の人生での出来事を総合して思うようになったことは「俺は何もしていない」ということである。確か「宇宙の果て」で書いたと思うが、ちょうど夢と同じように、自分は何もせず、ただ流れを見ているだけのような感じがする。

いや、当然、恵にも行動している感覚はある。が、それが恐らくは他の多くの人よりは「薄い」のではないかと思うのだ。夢の中でも自分で行動しているようには感じるが、実際には「夢の世界の流れ」に従っているだけで、それほどの決定権は自分にはない。あらかじめ、その流れに従わされているというか。

だが、そう思うようになったら、余計に社会の役には立たなくなるのではないの? エゴが薄くなった分、本人としては少しは生きるのが楽にはなったが。。。

ちょっと話がややこしくなってきたのでそろそろ締める。




占いを掛け合わせる」で書いたように、恵は占いが好きなので、以前、手相占いを見てみたことがある。感情線とその下の線の間に十字がある場合、それは「神秘十字」といって「目に見えない存在に護られている証拠」とあった。

左右どちらの手で見るかは、その占い師によって言うことが違うので両手で見たが、恵のどちらの手の平にも5つぐらいはその十字がある。嫁は手相が薄く、線が判別し辛いのだが、恵の手の線はしっかりした溝になっているため、その有無は分かりやすい。

また、右手のど真ん中には中指のすぐ下から手首にかけて縦に一本線が通っている。これは何かを達成する線だと知り合いから言われたのだが、恵が何を達成するの? このおっさんの状態から? ほとんど社会不適合者に近いのに?

まあ、期待はしないでほしい。自信を持って言うが、恵は世に役立つ目に見えた仕事は何も成し遂げないだろうと思う。若い頃は「地球を救う」ぐらいまで考えていたこともあるが、実際には自分の〇〇も拭けないぐらいなので。

今の恵の望みは、こうやってくだらないことを一生懸命書いているうちに、そのいくつかが、誰かの何かの役に立ってくれれば、ということだけである。

まあ、それも大した役には立たないだろうと思うけど。。。

 

 

 

幽霊を見続けて気がふれた友人達(興味を持つと見えるようになってしまう?)

 

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