そんなことをしているよりも……

なぜか今、恵が大学生だった時に先生が仰った言葉が思い出された。

「あなた方はまだ若いのだから、今のうちは物に執着せず、そのためにアルバイトなどするより、もっと自分に投資しなさい」

という趣旨だったと記憶している。

 

 

当時は80年代バブルの最盛期、最も日本が浮かれていた時期で、大学生の中にもブランド物の服を着ている者などがいたための言葉だと、その時の恵は理解し、納得していた。

恵自身は中2ぐらいから色気づき、大学1年まではいわゆる「ええカッコしい」だったのだが、大学2年から始めた空手で「本当のカッコよさ」というものを知った(と思っていた)ため、その頃には服も気にせず、髪などは伸びてきたら目にかからないように前髪だけハサミで真横に切って済ませていた。そのため高校時代の友人に久しぶりに会った時に「なんや、カンフー映画に出てくる悪役みたいやなあ」と言われたこともある。

そんな感じだったので、先生の言っていることはもっともだと思っていた。が、今、ふと違うことを思った。

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先生が仰った対象が服や人より目立つために持つ物に限定されていたら、今でもまだ納得はいく。が、もし、それが例えばバイクやステレオなどにまで及んでいた場合、それはどうなのだろう、と。

 

なに?

 

まず、先生の仰る「自分に投資」の意味自体、今となっては確かめようはないが、とりあえず「自分を磨く」「知識や経験を積む」ということだと仮定する。

そこで、バイク・ステレオだが、これをただ見て楽しむものとして車庫なり部屋なりに飾っているだけなら、恵も「そんなことしているよりも……」と思ってしまうが、そんな奴はあまりおらず、大概はバイクは乗るために、ステレオは聴くために買うのだろう。その場合、それは何かを「経験する」ためのものだと言えないだろうか。

バイクで日本一周旅行をする。ステレオで素晴らしい音楽を鑑賞する。これらの経験は「自分磨き」「知識・経験を積む」に全く関係ないことなのだろうか。また、そのためのアルバイトも、「社会経験」ではないのかと。

 

 

恐らく先生は、当時の大学生たちがあまりにチャラく、上っ面ばかり気にしていて中身が空っぽに見えたため、「もっと内面を鍛えなさい」という趣旨で話されただけで、恵が話しているような意味ではないことは分かっている。

ただ、この先生の趣旨は別として、今恵が気になっているのは、よく「そんなことをしているよりも」という言い方をするが、何をもって「価値のある行動」と言うのか、という問題である。

例えば、技術の習得が第一とされるクラッシック音楽の演奏者で考えてみる。彼(彼女)の場合、でき得る限りの時間を練習に費やすべきだと一般的には考えられると思うが、果たして本当にそうだろうか。いや、確かにかなりの時間をそれに費やさなければ、良い演奏者になることは不可能だろう。が、それが「全ての時間」である必要があるのか、ということだ。

 

 

極端な例を出す。

生まれてから一人の友達も作らず、ほとんど外にも出ず人にも会わず、家にこもってひたすら練習してきた者と、時には友人と語り合い、旅をし、恋愛も経験してきた者が演奏した場合、本当に「こもっていた者」の演奏の方が上なのだろうか。

歌でも楽器でも、それにより表現するものはいったい何なのか。それは本当に人や自然と接触せずに、働くことや恋愛することなしに表現できるようになるものだろうか。




動物とAGA、そして輪廻転生」でも書いたが、恵は生まれ変わりを信じている。転生が嫌いな人はDNAに刻まれていると考えれば分かりやすいと思うが、人間でも動物でも、誰に習わなくても知っていることは数多くある。だから、当然、生まれ持ってのものがあるので、こもっていたら無理だとは言えない。また、こもっていた「鬱屈」なども表現となるだろう。それも「経験」なのだから。

しかし、それを言えば人や自然との関わりや仕事や恋愛も当然経験と呼べ、むしろ、人生自体が主にそれらによって形作られていると言っても過言ではないと思う。従って音楽によって表現されるものもほとんどがそれらに関連しているはずだ。いや、直接そうではなくても、その経験が豊かな表現力につながるのではないか、と思うのだ。

そういう意味では、「そんなこと……」と一蹴できる事柄って、そう多くないのではないかと、なぜか急に今思ってしまったという、それだけの話。

 

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