【義務感】貧困にあえぐ子ども達

世の中の出来事で、自分には全く関係のないことっていうのはそれほどないのかもしれない。何かアクションを起こす事はもちろん、何もしないということも全体性には影響を与えるからだ。

 

父ちゃん、また難しい話するんか?

 

恵は10代の終わり頃、某テレビ番組で初めてアフリカの痩せこけた子供の映像を見た。時代の違いか今ではCM等で頻繁にそういう映像を見ることができるが、当時はまだあまり見る機会がなかったのだ。

涙が出た。純粋に心が痛かった。どうにかできないかと思った。考えは膨らみ、総理大臣になって命がけで事に当たれば他国のトップたちも賛同し、どうにかできるのではないか、などと馬鹿げたことまで考えていた。

だが結局、大したことは何もしないまま時を過ごしていた。恵が世界全体の流れを変えられないかなどという夢想に耽っている間に、幼くして命を失った子どもの数はどれほどになるのだろう。



年月が経ったある日、嫁が単純な方法を提示してくれた。嫁は恵のそういう考えを良く知っている。また、彼女もその点では同じ考えなのだ。が、大きな違いがあった。恵はただの夢想家で嫁はもっと現実的なのだ。

「継続型の支援をしよう」

彼女が持ってきたのは最近多い一人の子供の里親になるタイプのものではなく、「誰」という形ではなく一人分の食糧費をずっと負担するというタイプのものだった。恵はすぐ賛同し開始した。たとえ、世の中の流れを変えるつもりであったとしても、今やれることをすることに何の問題もない、という至極単純明快なことにやっと気付いたからだ。

そやから、俺はダメなんやなァ……

 

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恵は飢え凍えている人がいる責任は、飢えていない人全員にあるように感じている。経済学的に言っても南の貧困の原因は北にあると言われている。単純に怠け者だからではない。

そうか? 彼らは我々日本人と比べたらどう考えても怠け者やぞ。

確かにそうかもしれない。だが、そうだとしても本当に我々が正しいと言えるのだろうか? 経済活動でよく「消費」という言葉を使うが、それがまさしく資源を消費していることにはならないか。必要以上に物を持つ、文明を推し進めることが本当に正しいことなのだろうか? もっともな理由を上げてこれを正しいと言い切れる人がどれだけいるのだろう。「しょうがないやん。そういう流れなんやから。もう引き返せへんし」ではなく。

 

1日あたり150円の支援で途上国の子供たちに希望を

1本の木に10個の実がなっていて、子供が10人いたとする。ある国では一人の足が速く木登りが得意な子が一人で全部取った。そしてその内の2・3個を残りの9人で分けるように言って与えた。

同じ状況で、また違う国では「働かざる者食うべからず。自分の分は自分で取るべきだ」と一人が主張し、皆それに賛同してそれぞれが自分の分を取った。

だが、また別のある国では木に登れない子もいたので、一人の木登りの得意な子が代表して取り、それを一人に一つずつ当たり前のように配った。

この内、果たしてどの国の子供たちが正しいのだろうか。そして我々はどのタイプに属するのだろう。



「海外支援なんて偽善や。自己満足や。そのうちのどれだけが本当に行き渡ってるのかも分からん」

そう思うのは分かる。恵もそれはよく考えた。搾取しておきながらその幾らかを分け与えているようで心苦しいし、本当にどれだけが子供たちに行くのかも分からない。

だが、まず一つ目「偽善・自己満足」については、「どうでも良い」と思い直した。こっちがどういうつもりであれ、相手からすれば「その方が良い」から。二つ目「行き渡るかどうか」に関してはできる限り調べるしかない。恵たちは調べて大丈夫そうだと思って納得してやっている。

また、当然、NPO法人で働いている方々も生活があるので、その分が差し引かれるのは当たり前だと思っている。それを嫌がって自分で何十万もかけて海外まで数千円を届けるのは余計無駄だし、大きなことを考えてもなかなかできるものではないから。

 

1日あたり150円の支援で途上国の子供たちに希望を

人によって当然考え方は違い、それは尊重する。これらは単にダメ親父のたわごとである。ただ恵は「自分が思っていることは多くの人が思っていることだ」とも思っている。恵はこれをゴキブリ算と呼んでいる。1匹見つけたら33匹いる、というアレだ。

逆も然り、多くの人が思っていることを恵が読み取っている、恵の方が影響を受けている、とも思っている。これは恵にはどちらでも同じことなのだ。同じ時期に多くの人が同じことを思うのは、何も情報操作などの「陰謀」だけではないと思う。「意識は年を取らない」でも書いたが、恵は根本では皆繋がっているからではないかと思うのだ。



恵の家は日本の一般家庭としては裕福ではない方だ。水準以下だと思う。貯金もほとんどないに等しい。これは単純に恵がダメ親父なせいだが、それでも月数千円ぐらいなら何とか出せる。そういう思いで始めた支援も、もう15年以上にはなる。たった一人ではあるが、日本に置き換えると、生まれたばかりの子が高校生にまではなれたわけだ。

当然これからもそのまま続けていくし、もう少し余裕が出たら、もう一人分、そしてまた、、、と、増やしていけたらと思っている。ただ、そのためにあまりガツガツ稼ぐ、という考えはない。恵が取る余分な分は本当は誰かのものになるはずだったものだと思うからだ。これは誰かが言った言葉なのだが、

「与える為に取らない方が良い」

難しい言葉で、恵は今でもまだこのことについて考え続けている。

 

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