恵が30代の頃、よくインドに行っていたことは「英語」の中で書いた。ただ、インドへ行くにはそれなりの気合がいる。遠いため、費用も日数もそれなりにかかるし、行くと毎回恵自身の「枠」が吹っ飛んでしまう。そのために行くのだが、かと言って、そんな気軽に行ける国でもない。そういうわけで、恵は30代後半の数年間、タイにもよく行っていたのだ。
スポンサーリンク
インドと違い、タイは日本人の中にも行ったことのある人は多いと思う。特にバンコクはそれほど違和感なく旅行ができる場所に感じる。どこにでも牛が歩いていて、オジイやオバアが道端のそこらへんに座り込んでいて、ターバンを巻いた超長いひげのオジサン軍団が無意味に微笑みかけてきて、田舎に行くとアスファルトが道の真ん中にしかなく、対向車とのチキンランに負けて急に段差下にハンドルを切ったためにひっくり返ったトラックを行く度に見かける国とは違い、街は近代的で国民の服装も日本人と変わらず、地面もすべて舗装されている。違いは野良犬が多いぐらいだ。
うちの野良犬風飼い犬のアン
動物好きの恵にはこれは嬉しい限りで、自身の幼少期の日本を思い出す。当時恵は、学校に行く時でさえ常にポケットにドッグフードを入れて持ち歩いていた。見かけた野良犬にあげる為である。その頃は小学校の中にも何匹も野良犬が生息していたものだった。そのため恵のポケットはドッグフードの粉で常にザリザリで、いつも母親に怒られていた。
バンコクに行くと、どこへ行っても幸せそうに寝転がっている犬を見かける。恵は屋台が好きでよく行っていたのだが、足元に何かがいると思って見ると、犬なのだ。日本では飲食店に野良犬は考えられないことだが、タイでは当たり前だ。そこにいるということは店主も追っ払わないということで、それどころか恐らくは店主自身が餌を与えたりしているのではないかと思う。なぜなら、恵はテーブル下に犬を見かけると、いつもその時食べている物を分け与えようとするのだが、ほとんどの犬は見向きもせず、そのまま寝ているからだ。
恵がタイに行っていた頃の国王はラーマ9世・プミポン前国王の頃なのだが、この国王が強い動物愛護精神の持ち主だったようで、野良犬を排除しないという考えだった。予防接種は係員が野良犬を捕まえては注射して放つという方式を取り、人を噛んだ犬も殺処分ではなく「保護」するのだ。
また、その保護施設が犬には至れり尽くせりで、広い敷地内でのびのび過ごし、ふんだんに餌も与えてもらえる。遊びのような形のアジリティーで能力を見出された犬は災害救助犬として「社会復帰」も果たせるのだ。国際サミットがあった時も、その寸前に一度バンコクの野良犬を一時保護し、サミット後にまた元に戻したという。どれだけ犬好きなのか。
スポンサーリンク
ただ、これは徳川時代の「生類憐みの令」とは少し違うように思う。国民の誰もが野良犬に優しいが、命令に従っているという感じがしないのだ。プミポン前国王はタイの歴史上最も愛された国王として有名で、皆、彼の言うことに心から賛同しているのだと思う。実際、バンコクで飲食店の従業員たちと話していると、本当に国王を愛し、信頼しているのだな、と感じることが何度もあった。
「会話」で思い出したが、バンコクのホテルや旅行者用の飲食店では英語が通じる。当時、恵は既にある程度英語が話せるようになっていたのだが、タイではたとえバンコクでもタイ語が少しはできないとめんどくさい経験をすることがある。
初めてバンコクに降り立った時、恵はまだ全くタイ語が話せなかった。タクシーでエメラルド寺院等に行こうと思って英語で話しかけると、全く通じない。どんな簡単な単語も全く知らないのだ。後で知ったが、タクシー運転手の多くが地方からの出稼ぎで、英語を全く習ったことがない人間が多いらしい。困っていると、そこへ英語で話しかけてくる運転手がいたので料金交渉に入った。
「メーター?」
「いや、違うが安くする」
「いや、メーターにしてくれ」
「大丈夫。ワットプラケオまで600バーツで行く」
「あほか(これは言ってない)、いらんわ」
エメラルド寺院(ワットプラケオ)まではだいたいその10分の1で着く。恵はちゃんと下調べはしていたのだ。が、「タイ語が必要」ということまでは調べていなかった。相変わらず詰めが甘い。。。
その後、何度も流しのタクシーを拾っては飛び降りた。メーターを使うか訊くと頷くのだが、実際乗車するとメーターが壊れているだとか何とか言って皆つけないのだ。そして、「停めろ」と言ってもなかなか停めないのでドアを少し開くと、皆諦めて速度を落とす。そこをすかさず飛び降りるわけだ。
TOEIC対策はスーパーエルマーで万全でした。600点から825点にUP スコアを見る
二度目にタイに行く前にネットでいろいろ調べると「タイ語が少しでもできればボラれない」と、皆書いていたので、タイ語と日本語が交互に入っているカセットテープ(当時はCD版がなかった)を購入して2週間ほど聞き流しで勉強して行った。
本ではダメだ。初回時、何度か「タイ語本」のカタカナを読んでみたのだが全く通じなかった。タイ語は中国語などと同じように発音・イントネーションが大事で、それが合っていないと相手は何を言っているのか分からないらしい。
簡単なところでは、日本では「サイアム・スクエアー」などと表記するが、実際に「サイアム」というと相手は「?」となる。どちらかというと「サッヤーム」の方が近いが、これでもただ読んだだけでは通じないかもしれない。
タイに何度も行く旅行者なら皆知っている話に「『トイレはどこですか』は関西弁で」というものがある。このタイ語をカタカナ表記すると「ホングナーム・ユーティーナイ」となるが、実際にはこれを読んでも通じない。文字ではイントネーションやストレスは分かり辛いが、このフレーズに関してだけは簡単に分かる方法があるのだ。
関西人限定 (及び他県人でも話せる人)ではあるが、「ほんなん、言うてない(そんなこと言ってない)」と言うと、大概通じるのだ。一度家族でタイに行ったとき、当時中学生だった娘が面白がってレストランで試すと、ちゃんとウエイターにトイレを案内されていた。
タイ語に関して恵が話せるフレーズはごく少しだけだが、それでも、それ以後タクシーでボラれたことは一度もない。ただ、行き先をタイ語で言うだけでもうボラれなくなるのだ。何とも不思議な話だが本当のことだ。
これもカタカナ表記では意味をなさないが、「チュアイ・パーパイティー・ドンムァン・ドゥアイ・カップ」 これをそれなりのイントネーションで言えば、黙ってドンムァン空港までメーターで連れて行ってくれる(現在は国際空港は新空港に変わっている)。
なぜ、そういうことになるのか本当の所は分からないが、「駐在員はタイ人と同等扱いで観光客には吹っ掛けろ」という考えがある、という説が正解なのではないかと恵は思っている。
で、タイトルの「微笑みの国」に関してだが、確かにタイでは出会う人のほとんどが皆陽気で笑顔を絶やさないことが多いが、時々とんでもなく怖い「波動」の人間に出くわすことがある。
恵が出遭った一番最初の怖い人は、ラクチャート・ソーパサドポンというムエタイ・チャンピオン。20代の頃、某空手団体の試合を観に行った時、恵は一階席の選手が通る通路横に座っていたのだが、ある瞬間、何か得体の知れないものが接近してきていることに対して本能が危険を察知した。反射的に身体を遠ざけながらそちらを見ると、ラクチャートが前傾姿勢で微笑みながらするするっと滑るようにリングに向かっていたのだ。恵にはその波動が「人をあやめる人」のように感じた。と言って、実際にそういう人の波動を知っているわけではないのだが、とにかく身の危険を感じる波動なのだ。
試合は、エキシビションにも関わらず、ラクチャートが階級上の元日本チャンピオンをコーナーに詰めて、微笑みながらバッカンバッカン思いっきり蹴ってダウン寸前まで追い込んでいた。やはり相当怖い奴だった。
タイでも何度か経験があった。街で怖い思いをしたことは一度もなく、大概がタクシー運転手なのだが、乗ってから、やはり「人をあやめる人」の波動で「大丈夫か、こいつ。ちゃんと言うたトコ連れてってくれるんか?」と、後悔するのだ。
当時、恵はまだ30代で空手の経験もあるから、相手がムエタイをかじった程度までなら体格差で何とかなるかもしれないと思った。タイ人は上背もあまりなく細い人が多いので。が、拳銃などを出されたらどうしようもない。実際、女性の一人旅でタクシー運転手が強盗に早変わりして「あやめられた」という事件は稀にだが発生している。
恵も怖さを肌で感じたので、家族を連れていく前にはネットでいろいろ調べた。タイには公営・法人・個人タクシーがそれぞれ色分けされているので、緑と黄色のツートンの個人タクシーには乗らないようにしたが、それでも絶対とは言い切れないらしい。
運転手の中には、つい最近まで刑務所にいた人までいると言うし、強盗目的でタクシー運転手になる奴までいるという噂まである。それを知って恵は背筋が凍った。「ほんまに俺、危なかったのかもしれん」と。飲んで夜中に人気のない通りをタクシーで走らせたことが何度かあり、その運転手が「あやめる人」の波動の時があったからだ。
ちょっと暗い話になってしまった。。。
現在のバンコクはBTSやMRTなどの電車路線が発達し、大概の場所へはそれだけで行ける。加えて、チャオプラヤーエクスプレスという船に乗ればエメラルド寺院やワットポーにも行けるから、個人旅行でもそれほどタクシーに乗らずに過ごすことは可能だ。
後は路線バスをマスターすればタクシーなど全く使わなくても、どこへでも行けるのだが、恵はこの街中の路線バスだけは苦手で、一度も成功したことがない。何度乗ってもミスをして遠回りになってしまう。慣れている人からすれば「何が難しいねん」と言われそうだが、なぜかダメなのだ。
まあ、とにかく、タクシーにだけは注意し、後はどの国でも同じように揉み手をしながら寄ってくる輩はまず危ないので、それを相手にしなければ、タイでの旅はきっと楽しいものになると思う。恵もそろそろまたタイに行きたいと思っていたが、アンが来たので後15年ぐらいは海外旅行には行けなさそうだ。外にも出られない子を誰かに預けられるはずもなし。
後はバンコクの屋台が国からのお達しで排除されていっていると聞いたのは、何よりも悲しいことだ。今ではもう日本でも有名なガパオも、タイでは屋台でいつも食べていた。当時の1バーツ3円レートで75円(トッピング無の場合)。タイ料理は辛いもの好きの恵にはとんでもなくおいしい料理で何を食べてもおいしかったが、その中でもある屋台で食べるパッガパオムー(豚肉のバジル炒め)カイダーオドゥアイ(目玉焼き乗せ)は最高だった。日本でも同じことが言えると思うが、高級料理店の方がうまくて大衆店はまずいなどということは全くなく、同じ料理でも屋台の方がおいしい場合もあった。
後、夕方にコンビニで瓶ビールを買って屋台に持ち込み、センレックナーム(米麺のラーメンのようなもの)を注文してから串焼きを別の屋台で買ってきて飲んでいると、いつの間にか日が暮れている、、、あの至福の時はもう永久に過ごせなくなるのだろうか。誰の差し金か、本当のところは分らないが、とにかく恵はこう叫びたい。
国のイメージアップって、屋台がないバンコクに何の魅力があるんですか?
関連記事
スポンサーリンク